オンクリ
Blogオンクリの日常
2022/12/22

L&F・フリーランスカメラマン-石井真さん

こんにちは。オンクリの土屋です!
オンクリインタビュー第18弾となりました。
今回オンクリで話を聞かせていただいたのは、長野県小諸市でフリーランスのカメラマンとして活動している「L&F」の石井真さん。
(山田孝之さん似のイクメンパパカメラマンです。
というのはさておき、実はいつもオンクリでWebサイトを制作する時に撮影部分を全てお願いしているカメラマンさんです。
今までオンクリの実績を見て素敵な写真だなぁ〜と思ってくださった方にはぜひ石井さんをご紹介します。)

石井真さんが笑顔で写真を撮っている様子

石井さんは、僕らのような制作会社さん向けの現場撮影から、ブライダル関連の撮影まで幅広く対応してれます。
また、撮影とは別にL&Fという屋号でミュージシャンのマッチングも手がけておられます。
石井さんのInstagramアカウントはこちら
生出張演奏のL&Fについてはこちら

目次

パティシエを目指す

僕は今でこそフリーランスのカメラマンとして活動していますが、10~20代にかけてパティシエとして働いていました。
順を追って話しますね。

人生を変えた伝説のチーズケーキ

僕は中学生の頃から建築家になりたいと思っていました。
というのも当時テレビ番組で流行っていたビフォーアフターが好きでいつも見ていたんです。
課題だらけのお家を一流の匠が現れて以前とは比べ物にならないほど住みやすい家を作る。
すごくカッコよかったんですよね。

– すごく分かります!僕も小さい頃ビフォーアフターを毎週楽しみにしていました。

気づいた時には、自分も匠になりたい!と思って高校は建築と関係のある工業科を選びました。
入学しても匠になりたいという目標は変わらなかったので、そのために必要な勉強もして。
地元の国公立大学に進学しようと思っていました。
しかし、大学進学を決める直前に僕の人生を変える伝説のチーズケーキに出会ってしまったんです。

– で、でんせつのチーズケーキ!?

それはすごく有名なお店のものとか、海外帰りのパティシエが作ったものでもなく、姉が作ったチーズケーキでした。
今思うと、普通に美味しいチーズケーキなんですけどね(笑)。

あの時の衝撃は今でも忘れません。
それが引き金になって、準備も進んでいた大学進学を全て白紙に戻してパティシエになることを決意しました。

– 国公立の大学からパティシエですか。。すごい振り幅の方向転換ですよね。周りからの反対はありませんでしたか?

それはありました。
僕の家族は好きなことをやったらいいと応援してくれたんですが、大学進学を勧めてくれていた先生からは
「本当に大丈夫か。」って何度聞かれたか分かりません。

調理の専門学校に進学するも…

結局パティシエを目指す気持ちは変わらなかったので、地元にあった調理の専門学校に進学しました。
そこまでは順調だったんです。

– そこまでは?

僕は専門学校を大学のように考えていたんです。
だからまだ若いし専門学校生活を謳歌してやろう!という気持ちでいました。

でも実際は、大学に比べて専門学校は圧倒的に授業時間も詰まっているし、基本的に平日は毎日学校があります。
間違いなく遊び呆けている場合ではないんですよ。

よく、髪の長さや色で講師の先生に怒られたりもしました。
今思うと当たり前に従うべきなんですが、当時は若かったので何くそと従いませんでした(笑)。

1年で学校を辞めて現場へ

あるとき思ったんです。
今はパティシエになるために専門学校で勉強しているけれど、現場で経験を積む方がいいんじゃないか?と。

思い立ってすぐに学校を辞めて、19歳の僕を雇ってくれるケーキ屋さんを探しました。
それから運よくすぐにケーキ屋さんが見つかってそこで働くことになりました。

石井真さんのパティシエ時代の写真

– そうすると19歳で現場デビューしたわけですね。お菓子とかは関係なく調理関係の下積みは厳しそうというイメージがあるんですが実際はどうでしたか?

幸い、僕が働いていたケーキ屋さんはシェフがすごく寛大な方でした。
僕の髪の長さや色を注意されることもなかったですね。
でも楽な仕事ではありませんでした。

大体朝7:00に出勤して終わるのは19:00くらい。
最初はフルーツのカットやケーキの仕上げ。
生クリームでスポンジを巻いたりなど覚えやすい作業から始めさせてもらって、生ケーキ、シュークリーム、デコレーションケーキ、焼き菓子まで本当に色々なことを覚えられました。

辛いことはたくさんありましたが、コンテストで結果を残したいという気持ちが強かったんです。
何よりお菓子作りに対する情熱は消えることがなかったので、僕の19~23歳の4年間はこの職場でのお菓子作りに注ぎ込みました。

高みを目指してオーストラリアへ

石井真さんがオーストラリアで船に乗っている写真
24歳の時に、4年間勤めたお菓子屋さんを辞めて海外に行くことを決意しました。
理由は大きく2つです。

元々ずっと海外に行ってみたいという思いはありました。
それとお菓子の勉強をしたいというタイミングが重なり、オーストラリアに留学を決めました。

– オーストラリアはお菓子作りが有名なんですか?

いえ。別に有名というわけではないと思いますが、それでもオーストラリアを選んだ理由があるんです。
普通お菓子作りというとフランスを思い浮かべますし、実際に本場でもあります。
だから僕も最初はフランスに行こうと思っていました。
でもフランスの公用語はフランス語であって英語ではありません。

英語を勉強できることも留学先を決める条件だったので、そうすると選択肢はオーストラリアとアメリカになりました。
でもアメリカは銃社会です。撃たれると怖いのでオーストラリアにしました(笑)。

– いきなり一人でオーストラリアに行くのに不安はありませんでしたか?

もちろん不安はありました。90%くらい。
それを紛らわすためか飛行機でワインを飲んだりもしていましたね。

英語もしっかりと喋れるわけでもなかったんです。
なので空港から降りた瞬間に90%の不安がさらに大きくなったのを覚えています。

– 初めての海外は不安でいっぱいですよね。オーストラリアではどんな風に過ごしたんですか?

最初の3ヶ月は語学学校に通いながら、ホストファミリーの家で暮らしていました。
なんですけど、これが1人1部屋あるわけではなくてリビングを何人かでシェアしていたので、居心地があまりよくありませんでした。
落ち着けなくて。。

語学学校には、韓国だったりハンガリーだったり、パキスタンだったり世界中の様々な国から人が集まっていました。
色々な友達もできて文化にも触れることができたのはすごくいい経験になりました。

– 文化的な違い。。ですか。具体的にどんな部分が違うと感じますか?

具体的に言葉で説明するのは難しいんですが、自分がどれだけ殻に閉じこもっていたのかを感じさせられるんですよね。
例えば、自分の意見を言えないとか、恥ずかしくて自分を表現できないとか。

時と場合によりますけど、もっと目立とうとしていい、自分を表現していいんだということを強く感じました。
ありのままの自分を認めてくれる人も必ずいますしね。

石井真さんがオーストラリア滞在時に友人と撮った写真
石井真さんがオーストラリア滞在時にパラシュートで飛んでいる写真

– 確かに海外に行った方からはよく同じお話を聞きますね。そういえば本題!お菓子作りの行方を教えてください。

それが、、(笑)
実はオーストラリアではお菓子作りはしていないんです。

というのもオーストラリアに着いてすぐ、お菓子屋さんで働くために日本での実績をまとめたレジュメ(日本でいう履歴書)を持って3件くらいお店を回ったんです。
でもどこも相手にしてくれなくて諦めました。
今思うと3件でなんで諦めたんだったいう話ですよね(笑)。

結局、オーストラリアにいる間は知り合いが紹介してくれたパン屋さんで働いていました。

オーストラリア生活を通して

オーストラリアの生活は今の僕にとってもすごく重要な期間になりました。
みんな違うけどそれを認め合えることに気づいて、自分もその感覚を持つことができましたし、経験したことのなかったカジノやクラブで楽しんだり。
とにかく楽しかった思い出しかありません。

ビザが切れて日本へ

オーストラリアのワーホリビザが1年間だったのでそれが切れたタイミングで日本へ帰ってくることになりました。
戻ってからは、地元のレストランでパティシエをしたり、スキー場のパーク整備をしていたり、英語の家庭教師をしてみたり。いろいろな仕事をしていましたね。

ビジネスとの出会い

その頃たまたま、パティシエとして働いてたレストランのオーナーに勧められて読んだ本をきっかけに、ビジネス書を読むようになりました。
その辺りですね。起業に興味を持ち始めたのは。

演奏家と会場のマッチングサービス「L&F」をスタート

石井真さんがL&Fで歌っている写真

「起業に興味を持ってからずっとどんな事業をしようか考えていたんですが、ある時高校の同級生と偶然スーパーで再会しました。
その時に今何してるの?という話になって、同級生は演奏活動を仕事にしているシンガーソングライダーだったんですが、演奏場所に困っていると話していました。

– それが今のL&Fの元となったわけですね!

そうですそうです!
演奏場所を探している演奏家と、演奏家を探している結婚式場やイベント会場を繋げたら事業になるのではないか。
それに気付いてからは実際に演奏家の方と話して課題をヒヤリングしていました。
結果として演奏家さんは僕の同級生と同じ課題を抱えていることが分かったんです。

– 課題に気づいてからはまず何をしたんですか?

まずは、ひたすらカフェだったり結婚式会場に電話をかけました。
でも僕は営業なんてしたこともなかったので、電話をかけるたびにすごく緊張したのを覚えています。
電話を自分でかけているのに、心の中では、出ないでくれ〜って思ってるんです(笑)。

– 分かります(笑)。出たら出たで噛み噛みでうまく喋れないですよね。

その中で、皆さんご存知スターバックスさんに興味を持ってもらうことができました。
実際に僕が考えていた事業を説明して、実際にスターバックスさんへ演奏家を紹介して演奏する機会をいただきました。

それが、大きな会社さんが相手でも興味を持ってくれる、自分でもやればできるんだという成功体験に繋がったんです。
小さな成功体験でしたね。

– スターバックスさんに。。それはすごいですね。

現場に行って演奏を手伝っているうちに、もっと音響の道具や知識が必要なことが分かってきたので、借金してでも道具を揃えて演奏家さんがいいパフォーマンスを出せるような環境づくりをしていました。

ここで2つ目の閃きがあったんです!
石井真さんが笑顔で写真を撮っている様子

「演奏の様子をカメラで撮影したら、演奏家のことを色んな人に知ってもらえるのではないか?」
そう感じてすぐにカメラを買って、演奏の様子を撮影するようになりました。

– お!ついにカメラに繋がってきましたね。

そうなんです。ここがルーツでカメラで写真を撮っているうちに、
「カメラで写真を撮ることを事業にしたい。」
と思うようになっていきました。

そのためには、まずはどうしたらいいかなと考えて出てきた答えは、
「既にカメラマンの仕事をしている人に話を聞く。」
でした。
思い立ってからはいつもInstagramで写真の参考にしていた人に、カメラについてのあれこれを相談しました。
一人ではなくて色々な人に聞きましたね。

その中でカメラの師匠となる人に出会って本格的にカメラマンを始めることになり、カメラにのめり込んで今に至ります。

石井さんにとって大事なコト

僕は建築士を目指したり、パティシエを目指したり、オーストラリアに行ったり、今はカメラマンをしていたり。
人生の方向を何度も変えているのですが、全てを通して感じることは
「自分の努力を何に使うかが重要。」
ということです。

今考えてみると、僕はカメラマンをしている年数よりもパティシエに費やしていた時間の方が遥かに長いんです。
ただ、そこで生み出したものであったり、自分の充実度はカメラマンをしている方が高い。
かといって、最初からカメラマンをしていても今の僕はないわけなので全く無駄な経験ではありません。

若者に向けて

– 石井さんは若い頃悩みはありましたか?

もちろん大量にありました。
仕事も恋愛も人生も若い時は考えることがたくさんありますよね。

– 今話を聞いた限り、石井さんはすごくポジティブで行動力があるように思うのですが、そんな方にも悩みがあったんですね。。

その通り。僕はすごくポジティブな人間です。
思ったことはすぐ行動に移すし、失敗してもそこまで引きずることはありません。
そんな僕でも若い頃悩みが尽きなかったので、普通ならもっと多いですよね。

– その悩みはどう解決しましたか?

とにかく行動。
それしかないと思います。

若いって悩みも多いですけどそのまま武器になるんですよね。
僕がL&Fの初めてテレアポをしていた時も、少なからず僕が若いからという理由で話を聞いてくれた人は間違いなくいました。
だから
若い × 行動力
を掛け合わせると強力な武器になります。

– 最後にやりたいことがない、何をしていいかわからない若者に一言お願いします。

石井真さんが若者に向けてコメントを書いている写真
ちょっとかっこつけます(笑)。
「とにかくやりたい事をやれ。
なければまず人生を楽しめ。」

やりたいことがあったら、まずやってみてください。
それは別にすぐに会社を辞めるとか一本に絞るとかではなくできる範囲でいいんです。
やりたいことがない人はひたすら人生を楽しんでください。
答えは向こうからやってきます。

やりたい事をやれ!なければ、まず人生を楽しめ!答えは向こうからやってくる エルアンドエフ 石井真

僕もオーストラリアにいる時は人生の目的があったわけでもありません。
でもひたすら楽しかった、悩んでいた全ての「体験」が今の僕の糧になっています。

インタビュアー 土屋より

最後まで読んでいただきありがとうございます。
株式会社オンクリの土屋です。

前回のフレアオリジナルの田中さんと同様、テレアポの話は共感しかありませんでした(笑)。
自分で事業を起こした人は全員と言っても過言ではないくらい経験しているんではないでしょうか。

石井さんの話の中で印象に残っているのは、とにかく行動力。
まとめると、

多いですね。

石井さんは通常より「知る」ことに対する欲求が高いのではないかと思っています。
僕もそうでしたが、田舎(長野県)にいることによって仕事に対する知識が少なくなりがちかなと思っています。
世の中にはそんな仕事があるの?ってくらい色々な仕事があるのですが、それを受動的に知ることのできる機会がすごく少ないですよね。

そこで自発的に「知る」ための行動をすることで一気に選択肢が開けてきます。
それを無意識のうちに知ろうとしていたのが石井さんだったのかなと。

なので、今の仕事に不満があったりなんだかモヤモヤするという人はとにかく行動。
もう少し落とし込むと「知る」ための行動をすることが、石井さんの話からも分かるように解決に繋がるかもしれません。

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ディレクター Tsuchiya Takaya
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