今回、オンクリインタビューの対象となっていただいたのは、株式会社フレアオリジナルの代表である田中陽一郎さん。
フレアオリジナルは、長野県坂城町でロボットの販売・開発・コンサルティング事業を行なっている会社で、今年で創業から14期目を迎えています。
小さい頃は漠然と自衛隊に入りたいと思っていた田中さんが、なぜ今ロボットに関する会社を経営しているのか。
幼少期から順を追ってインタビューさせていただきました。
目次
人生の振り返り
小学生時代はどんな子供でしたか?
まず、勉強は全くしていませんでした(笑)。
自分では頭が悪かったと思うし、僕の親も僕のことを自由に育ててくれたので、本当に好きなことだけをしていた思い出があります。
だから、テストの点数が低くて怒られるとか、悪いことをして怒られることもなかったかな。
当時は、ブームはゲームでした。
スーパーファミコンは今でも鮮明に覚えていて、とても熱中していて、マリオとか、ボンバーマンとか。
正直にいうと僕の家はそこまで裕福ではなかったので、ゲームは買ってもらえなかったんだけども、仲間達で秘密基地にしていた洞穴っぽい場所に置いてあったゲームをひたすらやってました。
それを見た、裕福だった家の友達がなんでかゲームを2台持っていたので僕に一つ貸してくれました(笑)。
今考えてもすごくいい子だし、絶対忘れないと思う。
中学生時代
中学生の時は、部活はテニス部だったんだけど凄くバイクが好きになった時期だったんだよね。
当時は、乗れもしないのに色々なところにバイクが落ちていたりとか使わなくなったバイクを探してくるとかね。
バイクの仕組みなんてよく分からないのに、一回バラしてみてもう一回組み立てたり、動かないバイクを見ようみまねで直してみたり。
今でもバイクは趣味で乗ったりもするんですが、原点はこの頃だと思います。
中学から始めた新聞配達の仕事
中学生の頃からアルバイトを始めたんですが、それが新聞配達でした。
朝はとにかく早くて5時に起きる必要があって、そこから1時間くらいかけて決められたエリア内で新聞を配ります。
その収入が月に数万円くらいあったので、一般的な中学生と比べるとお金は持っている方だったかな。
それでも、学校で必要なものであったり部活に使うものであったりはその頃から自分で負担していましたね。
高校生時代
僕は小学生の頃から、漠然と自衛隊に入りたいと思っていました。
BB弾で遊んだり、迷彩柄の服や帽子を買ってみたり。戦車に乗ってみたいと思っていました。
ただ、具体的にどうやったらなれるとか、どんな仕事をするのかはあまりよく知らなくてね。
それでも、口にはしていたので中学を卒業する頃に本物の自衛隊の人が家を訪問してきました。
しかもわざわざ3人でね。
自衛隊に入りたいという話を聞いて、駆けつけてくれたんだけどその人たちは僕を高校3年だと思っていたみたいで、当時中学3年だった僕の説明を聞いてがっかりそうにしていたのを覚えています。
自衛隊になれないとわかって、近くの高校の建築科に進みました。
特にやりたいこととか決まっていなかったので、高校時代はとにかくバイクに乗っていました。
この時も新聞配達はやめていなくて。
バイクも乗れるようになったので、給料も倍くらいになっていたかな。
社会人時代
高校2年から3年になると、普通は進路について考えるじゃないですか。
それが僕は全く考えていなくて。
早く働きたいという気持ちは強かったので、近辺の会社に就職しました。
当時は、今だとロボットがやっている危険な作業、溶接とかワンパターンな仕事をひたすらやってたな。
ドロドロに溶かした材料を扱うときは火傷もしたりしたんだけど、ある日雲ひとつない青空をふと見上げたら、
「あれ、何してんだろう自分は。もっと違うことがやってみたい。」
と思って2ヶ月で辞めたね(笑)。
それからは、いくつか会社を転々としました。
建築関係で仕事をしたり、その後は製造関係に戻ったり、軸とかは決めていませんでしたね。
たまたま入った製造会社が設計からやっている会社でした。
その頃の僕は製造関係の仕事は全て繰り返し作業だと思っていたんだよね。
なので、とにかく設計からできるのが面白くて。あたり前だけど、製造ラインで使われている機械があったらそれを作る会社もあるんだと気づきました。
バイクの次は車..
社会人になって車に乗ってからはとにかく車にはまっていた思い出があります。
仕事が終わってからは毎日峠道に乗り出していました。どんなに疲れていても眠くてもね。
今日は行かないと思っていても仕事が終わると行きたくなってしまうんだよね。
今思うとすごい体力だったなと思うけど、同時にいい思い出でもある(笑)。
27歳で独立
色々な仕事をした上で設計から製造までを一貫してできる仕事が長く続きました。
当時は設計をする中で、プログラミングの仕事だったりを外注していたんですが僕はそれも社内でできるように自分で勉強していたんですね。
そうしたらある日気づいたんです。
「自分で全部できるな。」って。
結局、勤めた会社は3年で退職して、特にお金を稼いでやろうとか、大きな目標があったわけではなかったんですが、27の時にまずは個人事業主として独立しました。
独立後
独立してからは、とにかく大変だった(笑)。。
仕事があれば、自分で全てできるけど仕事を取ることを全くやったことがなかったんです。
当初はお客さんも一人もいなかったので、最初は家にあった電話帳を引っ張り出してきてひたすらテレアポでしたね。
元々人と話すのも得意じゃなかったので、すごく緊張したし受付から担当者に繋げてもらえることもできなかった。
でもやるしかないんだよね。諦めるわけにもいかないしね。
それから少しずつ仕事をもらえるようになったんだけど、最初はとにかくみんなが面倒でやらないような仕事だったり、納期が短い仕事だったりそれを率先してやっていました。
たくさんの失敗を乗り越えて
僕は失敗した数がすごく多いんです。
バイクをいじっていても、マフラーを曲げてしまって元に戻らなくなったり、車をいじっていてもエンジンの載せ替え方も分からなくなって工具を使ってひっくり返したり。
本当に数え切れません。
でもそれをやり切った結果として、自分の中でやればできないことなんてないと思っているんですよ。
だからフレアオリジナルは基本どんなことでもやる。それは社風に繋がっています。
コミュニケーションは得意ではなかった
さっきも伝えた通り僕は元々、人とコミュニケーションをとるのが得意じゃなかったんです。
だから独立してひたすらテレアポするだけでも慣れないのに、アポが取れて実際に訪問すると手が汗だらけなんですよね。
それも少しずつ慣れてきて、今では会ったことのない人と会えるときにはワクワクしている自分がいます。
中学から独立しても続けていた新聞配達
中学の頃から始めた新聞配達は、結局独立してもしばらく続けていました。
始めた当初は、学校に行く前に起きてすごく眠かったんですよ。本当に眠い時には寝ながら新聞配達していました(笑)。
全部で15年くらいやっていたかな。
これだけとは言わないけど、15年続けたことは自分の中で今でもやり切る力にすごく繋がっています。
若者に向けて
田中さんの若い頃を振り返って
僕はとにかく若い頃から具体的な夢とか、将来について考えることをしてきませんでした。
中学を卒業するときも、高校を卒業して就職するときも、転職するときも一緒ですね。
でも、バイクや車の好きなことに心血注いでやっていた結果、今はものづくりの仕事に繋がっています。
あの時の失敗も無駄じゃなかったかな(笑)。
今の若者について
僕の会社(フレアオリジナル)にも、10代、20代の社員が合わせて4人います。
みんないい子で仕事もすごくよくやってくれる。
今はいい時代だよね。
昔はインターネットなんてほとんどなかったから。製造関係の仕事もそうだけど、世の中にどんな仕事があるのかも良く分かっていなかった。
やりたいことがないとか、見つけようとしたけど見つからないとかそういう気持ちはすごく良くわかります。
だけど焦る必要は全然ないと思います。
僕も結局、今はやりたいことに常にチャレンジできているけど、若い頃からその準備をしていたわけではありません。
一つだけしか伝えられないけど、とにかく挑戦してみると色々な経験ができます。
インタビュアー -土屋より
記事を読んでいただいてありがとうございました。
株式会社オンクリの土屋です。
今回は、フレアオリジナル代表の田中社長にお話を聞かせていただきました。
僕が話を聞いている中で、田中社長とは共通点を感じる部分が多かったです。
独立当初お客さんがいなかったり、ひたすらてレポする話も(僕はメルアポですが)、最初は小さな仕事から受けていた話も、元々エンジニアで営業が苦手というところも。
最初の営業で手がびっしょりになったのも、全く一緒でした。
田中社長は、小さな頃からとにかくやってみる。その精神がすごく養われていました。
結果として、情報収集がしづらい時代に様々な仕事に触れて自分のやりたいことを実現されています。
そのため、フレアオリジナルさんは軸となるロボットに関する事業は変わっていませんが、派生でどんどん新しい事業を始められています。
ロボットの販売を始めたり、ロボットの講習を行ったり。
また、フレアオリジナルさんは僕が何度お伺いしても社内の雰囲気がとても柔らかいんです。
僕は今23歳(あと数ヶ月で24歳)なんですが、同い年の社員さんが3名いらっしゃいます。
それぞれとお話をさせてもらう機会もあったんですが、どことなく皆さん田中社長と雰囲気が一致しています。
少し話が逸れましたが、田中社長の経験から今の僕ら世代が学ぶことは多くあると思っていて、僕らは小さい頃から失敗をしないように育ってきていると思うんですね。
(特に僕は末っ子なので可愛がられて生きてきました。違う皆さんすみません。)
要するに親世代がした失敗と同じことをしないように、親が先回りしてくれる。
だから失敗が怖いし、新しいことをするのも怖い。僕は今でもそれをすごく感じます。
それ自体は、悪いことではないんですが、自分で転んで痛い思いをして覚える、経験にする。
何かを見ただけ、聞いただけで判断したつもりになってしまいがちなものにもう少し目を向けてみる。当事者になってみる。
そうすることで、見えてくるものがあるんじゃないかな。
という感想でした。
若者の皆さん。挑戦しましょう。