目次
戦ってきた歴史
1400年初期に群衆を率いたジャンヌダルク
ジャンヌダルクは1412年フランスに生まれました。
フランスではイングランドとの100年戦争の真っ最中で、国は疲弊しきっていました。
その後1412年、ジャンヌダルクは、
「イングランドと戦ってフランスを救いなさい。そしてシャルル王太子(当時のフランス皇太子)をフランス国王に即位させなさい。」
と神からお告げを受けたとされており、その5年後にシャルル王太子に謁見しお告げを伝えたジャンヌダルクは、異例の待遇で軍の指揮官に抜擢され、フランスにとって重要な地域であった「オルレアン」での戦いで指揮を取る事になります。オルレアンは既に大勢のイングランド兵に包囲され敗戦が濃厚になっていました。しかし、ジャンヌは勇敢に兵を率いて戦いに勝利します。その後シャルル王太子は国王に即位し、フランス中で英雄として讃えられるようになりました。
その後、首都パリ奪還のため兵を率いて戦いますが、圧倒的な勢力差から奪還に失敗。ジャンヌはイングランド軍に囚われ火炙りで処刑されてしまいます。
この時、シャルル国王は民衆から支持を受けるジャンヌを恐れており囚われたジャンヌを助ける事をせず見殺しにしてしまいました。
当時神の声を聞いたり、女性にも関わらず男装をしていたジャンヌは異端者扱いとして19歳という若さで処刑されました。フランスを救って人々の希望の拠り所となったジャンヌでしたが、異端者として処刑されその後しばらくは名誉は回復しませんでした。
25年後にようやく無罪と認められ、500年後に聖女としてローマ教皇に認められます。
当時は異端者と言われながらも、ジャンヌは自分の信念を貫きフランス国民のために全てを賭けて戦っていたのでしょう。
「選挙権」のために戦った1900年台初期
突然授業のようになってしまいますが、学生の時に耳にタコができるを通り越してクラーケンが棲みつくほど教えられた「選挙権」。この言葉の歴史について覚えていますか?
近代的選挙法の始まりである衆議院議員選挙法(1889年)では、
「日本臣民の男子にして年齢満二十五歳以上」
かつ満一年以上直接国税十五円以上を納めるもので、議員に立候補するにも
「日本臣民の男子満三十歳以上」
かつ満一年以上直接国税十五円以上を納めるものと定められていました。
この頃投票ができた人は日本の人口に対して1%だったと言われているので、現在に換算すると年収が1,500万円ほどないと選挙権が与えられない事になります。そう考えるとめちゃめちゃハードル高いですよね。
しかしこれに対して、普通選挙を求めるいわゆる普選運動が始まっていきました。
1897年にその中心となる普通選挙期成同盟会を立ち上げた中村太八郎・木下尚江はどちらもまだ当時20代の若者でした。
その直後1900年に治安警察法(簡単にいうと政治活動を規制するための法律)が制定されたにも関わらず1925年には普通選挙法により条件が
「二十五歳以上の男子」
にまで引き下げられました。
前置きが長くなってしまいましたが、普選運動に参加していた人の多くは自分たちが政治に参加する「権利」を守るため、さらにいうと自分達が生きていく国を理想の形に作り上げるため命を賭けて戦っていました。(人が死んでいるかは特定できませんでしたが、少なくとも治安警察法によって投獄されたり、弾圧を受ける人はいたと推測しています)
第二次世界大戦の日本兵
日本人が経験した中で一番近い戦争である第二次世界大戦でも、戦っていた若者たちが多くいました。
戦地に派遣されれば、生きては帰って来れない可能性にも関わらず多くの若者が自ら戦争にいく事を志願しました。一度は耳にした事があるであろう「神風特攻隊」は敵艦に命を投げ打って特攻するための部隊でありそもそも前提として「死」が待ち受けている。それから人間魚雷「回天」は、大型魚雷に人間を乗り込ませ操縦できるようにした特殊兵器で、もし敵艦にぶつかる事ができなくても航続距離を過ぎた場合は、その場で沈むしか選択肢がありません。
17歳の特攻兵の手紙
https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_1.htmlより引用
当時最年少で命を落としたのは17歳の少年でした。
少年は軍用機パイロット育成部隊「少年飛行兵」の一員でした。この当時パイロットは軍国教育の影響から花形だったため、合格した時は万歳をして喜んだそうです。
その後、戦況が悪化していく日本軍は少年兵も否応なく特攻作戦に組み込んでいき、その少年にも出撃命令が下ったのですが最後に家族に向けてこんな言葉を残しています。
自分が死んでも絶対に泣かぬよう。国のために死ぬのです」
今回例に挙げた神風特攻隊、人間魚雷以外にもたくさんの兵士たちが第二次世界大戦で命を落としました。
その戦死者達は自分達の住む国を守るため、大切な人を守るために命を賭けて戦ったのだと思います。
マララ・ユスフザイさん
「わたしはマララ」の著者でもあり、17歳で世界最年少でノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさん。
彼女はパキスタンに生まれ、幼い頃から学ぶ事が好きな子供だった様です。しかし、過激さを増す武装勢力は2008年に400以上の学校を爆破し政府は女性教育を全面的に禁止しました。
その中でも彼女は命に危険が及ぶにも関わらず学ぶ事をやめずませんでした。さらにイギリスのメディアに同じように学ぶ事をやめない女性達の悲惨な現状を伝える日記を書き続けた結果、身元が特定され武装勢力の標的となってしまい学校からの下校中に頭と首を銃撃されてしまいます。幸いにも彼女は一命を取り止め現在でも平和活動を続けています。
そんな彼女がノーベル平和賞受賞の際にこんな言葉を残し、今でも女性だけ教育を受けられない理不尽な環境に自分の権利を訴えるために戦い続けています。
私には二つの選択肢がありました。一つは黙って殺されるのを待つこと。二つ目は声を上げ、そして殺されることです。私は後者を選びました。声を上げようと決めたのです。
本題:今日本の若者は何と戦う?
若者が抱える不安
2021年1月8日にCCC MARKETING HOLDINGSは、18歳〜20歳の男女を対象にした「若者のライフスタイルに関するアンケート調査」の結果を発表しました。
今悩んでいること上位3項目(複数回答可)
1位 今後の未来のこと
2位 お金のこと
3位 仕事・就職のこと
今悩んでいること1位(世代別)
18歳 今後の未来のこと
19歳 仕事・就職のこと
20歳 仕事・就職のこと
2021年に積極的に取り組みたいことは?
1位 学問
2位 趣味
3位 アルバイト
将来やりたい事が決まっている人は6割
年齢別に見ると18歳では7割と19,20歳では6割となっている。
今後どういった生活スタイルを望んでいるのか?
26.8% 自分の好きなことや興味のあることに囲まれた豊かで楽な生活スタイル
16.3% 自分の好きなことややりたいことに、時間と手間を集中させる生活スタイル
15.7% のんびり気ままな自然志向の生活スタイル
データから推測できること
将来やりたいことが決まっている割合が6割と半数を超えていました。にも関わらず、悩んでいることの上位3項目が今後の自分に繋がる項目が多い事から未来に対する不安が高まっていると推測できます。
また、今後どういった生活スタイルを望んでいるか?という質問では、今の若者には野心が溢れ出るというよりかは
・やりたい事
・自由
という2つの要素の方が強いことが読み取れます。
4つの例に共通する信念
・ジャンヌダルク、
・普選運動
・第二次世界大戦
・マララ・ユスフザイさん
の4つの例を上げましたが、どれをとっても共通して見えてくる信念を感じました。
それは「未来のために戦っている」という事です。
我々はもう戦わなくてはいいのではないか
私たちの「いま」をより良くするために先人達は「これから」のために戦ってきました。その結果日本では、
職業を自由に選択できる、住む場所を選択できる、好きな人と結婚できる、政治に参加できる。その他諸々の環境がある程度出来上がったと思っています。(もちろん今でも話題になっている問題などはありますが…)
結論:もう敵はいない!
日本の若者が、やりたい事を実現する中で理不尽な障壁や既成概念はとりはらわつつある世の中で、もう何かと戦うのではなく、先人達に感謝しつつ自分のやりたい事をとことん突き止める。そして楽しく自由に生きていく。それでいいのではないかと思っています。ただ、私たちが当たり前に持っている権利はこれまで先人達が命を賭けて勝ち取ってきたという背景を理解できたらもっといいなと!
そしてマララさんの言葉にもあったように、もしも理不尽な環境を「いま」感じたのであれば声を上げましょう。(僕もそうありたいものです)
「これから」のために。